世界遺産図鑑/エストニア/タリンの歴史地区
World Heritage

🇪🇪タリンの歴史地区

Historic Centre (Old Town) of Tallinn
文化遺産 1997年登録 (ii)(iv) エストニア

タリンの歴史地区は、エストニアの首都タリンに残る、ハンザ同盟の交易都市として栄えた中世北ヨーロッパの街並みで、丘の上の山の手トームペアと麓の下町からなる文化遺産です。フィンランドからフェリーで渡り、ふとっちょマルガレータからラエコヤ広場、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂、展望台まで歩いて回った記録を、動画・写真・解説付きでまとめています。

タリンの歴史地区
Historic Centre (Old Town) of Tallinn
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ふとっちょマルガレータから旧市街へ

旧市街の北の入口にあるふとっちょマルガレータと門(タリン・本人撮影)
タリンの歴史地区(Tallinna vanalinn)

フィンランドからフェリーで渡り、港から歩いて15〜20分ほどでタリンの旧市街に着きました。宿も世界遺産の中にあります。旧市街の北の入口にあるのが、通称ふとっちょマルガレータと呼ばれる建物で、今は海洋博物館になっています。

赤レンガの屋根の建物や、ゴシック様式の尖塔が見えます。街の雰囲気はロシア系の要素がだいぶ入っていて、これまでとは違う雰囲気です。珍しく日本語のガイドマップもあり、きれいな訳で、洗練された国だと感じました。

エストニアは電子国家で、IT先進国のイメージが強い国です。スカイプや、ヨーロッパ中で走るライドシェアアプリのBolt、僕が今も使っているマルチカレンシーのデビットカードのWiseなど、エストニア発の企業がいくつもあります。

遠くからも高いゴシック建築の尖塔が見えたのが聖オレフ教会です。13世紀ごろに建てられた教会で、一時は世界一高い建物だったそうです。

ハンザ同盟の商業都市

エストニア国旗が並ぶ、自由広場付近の階段(タリン・本人撮影)
自由広場付近の階段

登録基準は(ii)と(iv)です。ハンザ同盟の商業都市として栄え、交流があったことが(ii)、今も残る中世の建築と街並みが(iv)にあたります。ほかのヨーロッパの中心地と同じように、当時は周囲を城壁で囲まれていて、今も街の周りには壁が残ります。

歴史的には、13世紀ごろにドイツの騎士団がこの辺りに拠点を築いたところから始まるようです。フェリーでフィンランドからすぐ来られたように海が近く、交易の都市として栄えたのだと思います。

ラエコヤ広場からアレクサンドル・ネフスキー大聖堂へ

中心にあるのがラエコヤ広場で、今はレストランやお土産屋がたくさんあります。平日の月曜日だったので人はまばらでした。ガイドマップに「世界最古の薬局」と書かれていたので、ちらっと覗きました。今も薬を売っていて、撮影は禁止でした。

広場のすぐ近くにある聖ニコラス教会(ニグリステ博物館)は、今は美術館で、音楽コンサートの会場にも使われているそうです。ここまで見てきた王道の教会です。

玉ねぎ型ドームのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂(タリン・本人撮影)
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

その奥に見えていた玉ねぎ型ドームが、ロシア正教のアレクサンドル・ネフスキー大聖堂です。中は撮影禁止でしたが、豪華な装飾で、ビザンティン美術のような雰囲気の絵画がたくさん見られました。少しイスラムに近いような香の匂いもして、これまでのカトリックやプロテスタントとは違う雰囲気の聖堂でした。

フィンランドに入ってからそうでしたが、玉ねぎ型ドームの東方の建築が入ってきます。キリスト教の三大宗派のうち、カトリックとプロテスタントではない、東方正教会のものが多く見られます。

玉ねぎ型ドームには、主に天へ昇る願いが込められているそうです。実用的には、緯度が高い雪国で雪が積もりにくい形を追求した結果、あの形になったそうです。

一番南の端にあるカールリ教会も覗きましたが、礼拝の時間だったのか、とても厳かな雰囲気だったので、すぐに失礼しました。

展望台から見た赤い屋根

展望台から見下ろしたタリン旧市街の赤い屋根と聖オレフ教会(本人撮影)
展望台から見た旧市街

街自体はとてもコンパクトで、北の海洋博物館から一番南の教会まで一周しました。博物館に入れば見るところはたくさんありそうですが、今回は省いて展望台へ向かいました。

エストニアといえば、街並みを上から見下ろすイメージです。赤レンガの屋根と教会の尖塔、ところどころにある玉ねぎ型ドームの印象が圧倒的に強いです。旧市街の奥には最近の高層ビルも見え、新市街が広がっているようです。

バルト三国の共通点は、かつてロシアに占領されていたことで、ドイツから守るために戦った記録も残り、小国ならではの苦労があったようです。3か国とも首都の歴史地区が世界遺産に登録されていて、中世の雰囲気は共通していますが、国民性や文化は全然違い、言語ももちろん違います。

世界遺産データ:タリンの歴史地区

タリンの歴史地区は1997年に世界遺産に登録されました。バルト海沿岸に残る中世北ヨーロッパの交易都市の、極めて完全でよく保存された例で、13〜16世紀のハンザ同盟の最盛期に、その重要な拠点として発展しました[1]。

登録
1997年
登録基準 (ii)(iv)
区分
文化遺産
登録範囲
113 ha
文化の基準
  1. i
  2. ii
  3. iii
  4. iv
  5. v
  6. vi
自然の基準
  1. vii
  2. viii
  3. ix
  4. x
  • (ii)建築・技術・都市計画・景観設計における価値観の交流
  • (iv)人類の歴史の重要な段階を示す建築・技術・景観の見本
登録基準10項目のうち、この遺産が認められた基準(ユネスコの基準の要約)[2]。

石灰岩の高い丘の上の山の手と、麓の下町に立つ多くの教会の尖塔が、陸からも海からも遠くに見える印象的なスカイラインをつくっています。城と大聖堂のある山の手のトームペアは常に国の行政の中心で、下町には中世の名前を残す細く曲がりくねった通りが残ります。

城壁、市庁舎、薬局、教会、修道院、商人と職人のギルド、商人の家々がよく残り、13〜14世紀の区画割りもほぼそのままです。町の構成と建物は、封建領主の拠点とハンザの交易の中心が、同じ城壁の中で共存していたことを示しています。

ハンザ同盟の北東ヨーロッパで最も遠く有力な拠点の1つとして、シトー会、ドミニコ会、ドイツ騎士団とハンザの伝統が交わる国際的な文化を育み、北ヨーロッパに広めました。

参考文献

IkigAI・せかいのずかん
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