ヴァティカン市国は、ローマ市内にある世界で最も小さな独立国で、サン・ピエトロ大聖堂・バチカン宮殿・バチカン美術館を含む国の全域が世界遺産に登録されています。サン・ピエトロ広場からバチカン美術館・システィーナ礼拝堂まで回った記録を、動画・写真・解説付きでまとめています。
世界で最も小さな国に入る
バチカンは幼少期から来たかった場所です。なぜこんなに小さな国が成り立つのかという疑問から「国とは何か」を考え始め、20年ほど経ってようやく入国しました。人口は800人ほど、面積は0.44平方キロメートルで、東京ディズニーランドより小さいと言われます。公用語はラテン語で公式の文書はラテン語ですが、日常の業務はイタリア語で、観光客向けに英語などが使われ、警備はスイス人の衛兵が担っています。
観光客が入れるのは広場・大聖堂・美術館くらいで、広場から入って5分ほどで一度国境の外へ出ました。美術館の入口は広場の反対側にあり、国境の壁に沿ってぐるりと歩いて向かいます。
UNESCOの記述では、ヴァティカン市国は1929年2月11日のラテラノ条約で定められた、ローマ中心部の独立国です。城壁に囲まれ、ベルニーニの列柱廊を通してローマの街に開かれた構成です。4世紀にコンスタンティヌス帝が使徒ペテロの墓の上に最初の大聖堂を建てて以来、キリスト教の中心であり続けました[1]。
バチカン美術館
予約していても30分ほど並び、予約なしの列は2時間はかかりそうな長さでした。公式サイトの予約システムがうまく動かず、結局別の会社のオーディオガイド付きチケットで4日前に予約できました。中は24の美術館・博物館と図書館が一続きになっていて、ルートはエジプト、ギリシャ、ローマの順に文明をたどるように組まれています。
ピオ・クレメンティーノ美術館にはエジプトのスフィンクスを思わせる彫像からギリシャのレリーフまで、彫刻の流れが詰まっています。次に大きな区画がエトルリア人の資料で、文字資料が残らず分かっていないことが多い文明のため、見る人が少なく静かでした。燭台のギャラリー、タペストリーの回廊、地図の回廊と続き、現代美術の区画や企画展もあります。
UNESCOの登録理由では、バチカン美術館は18世紀半ばに教皇がルネサンス以来の古代コレクションを公開したことに始まり、古典彫刻のために建てられたピオ・クレメンティーノ美術館はヨーロッパ文化史の画期とされています。1475年にシクストゥス4世が創設したバチカン図書館は、ヨーロッパで最初に一般へ公開された図書館です[1]。
システィーナ礼拝堂とミケランジェロ
システィーナ礼拝堂は撮影禁止です。礼拝堂の外に全体の解説展示があり、天井画と「最後の審判」の構成、自画像と言われる部分が説明されています。天井画は旧約聖書の内容で、ミケランジェロが1人で4年ほどかけて足場の上で描いたと解説にありました。写真でしか見たことがなかったので、天井画と壁画がつながって一つの空間になっていることを現地で初めて知りました。
UNESCOの記述では、1506年にユリウス2世のもとで新しい大聖堂の建設とラファエロの間・システィーナ礼拝堂の装飾が始まり、大聖堂はブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニ、マデルノ、デッラ・ポルタの手を経て1626年に完成しました。システィーナ礼拝堂の壁画はペルジーノやボッティチェリらが始め、16世紀にミケランジェロの天井画と「最後の審判」で完成しています[1]。
世界遺産データ:ヴァティカン市国
ヴァティカン市国は1984年に世界遺産に登録されました。大聖堂の地下にはコンスタンティヌス帝の最初の大聖堂の遺構、カリグラとネロの競技場の跡、聖ペテロの墓がある1世紀のローマの墓地が残っています。ブラマンテ、ミケランジェロ、ベルニーニの建築は16世紀以降ヨーロッパ内外で模倣され、美術の発展に深い影響を与えました[1]。
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- (i)人類の創造的才能を表す傑作
- (ii)建築・技術・都市計画・景観設計における価値観の交流
- (iv)人類の歴史の重要な段階を示す建築・技術・景観の見本
- (vi)普遍的な意義をもつ出来事・伝統・思想・信仰・芸術との関連