世界遺産図鑑/ヨルダン/隊商都市ペトラ
World Heritage

🇯🇴隊商都市ペトラ

Petra
文化遺産 1985年登録 (i)(iii)(iv) ヨルダン

隊商都市ペトラは、ヨルダン南部の赤い砂岩の谷に紀元前からナバテア人が築いた都市の遺跡で、岩を削り出したエル・ハズネ(宝物殿)で知られる世界遺産です。2日券で入り、岩の裂け目シークからエル・ハズネ、最奥のエド・ディル、王家の墓まで歩いた記録を、動画・写真・解説付きでまとめています。

隊商都市ペトラ
Petra
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シークを抜けてエル・ハズネへ

エル・ハズネ(宝物殿)の正面(ペトラ・本人撮影)
エル・ハズネ(宝物殿・Al-Khazneh)

ペトラはナバテア王国の首都だった場所で、ローマに支配される前の紀元前2世紀ごろから紀元ごろまで確実にあった文明の都市です。王国が衰退してからは長く放置され、19世紀に再発見されました。一般にはペトラ遺跡と呼ばれますが、世界遺産の登録名は「隊商都市ペトラ」で、当時は交易と交通の要所でした。ヨルダンに来る観光客の9割はここが目的だと思います。

岩の裂け目シーク(ペトラ・本人撮影)
シーク(Siq)

入口から岩の裂け目が延々と続き、20分ほど歩いてようやく、ペトラで最も有名なエル・ハズネが突如現れます。コリント式の柱が目立つ正面で、一番驚いたのは土の赤さです。鉄分が多いのか本当に赤く、この砂岩をそのまま削ったからこの色の彫刻になったのだと分かります。

大神殿から最奥のエド・ディルへ

最奥の修道院エド・ディル(ペトラ・本人撮影)
エド・ディル(Ad Deir)

エル・ハズネからさらに歩くと大神殿で、そこから最奥の修道院エド・ディルまでは2時間ほどのハイキングです。ロバに乗れとずっと誘われ、世界遺産の中にしては危険な道が多い場所です。階段は750〜800段あり、ハイキングコースは何か所かあります。

途中にはギリシャ風の円形劇場があり、ここでもコリント式の柱が目立ちます。主要なスポットは地図によると15か所で、その地図の日本語は一部ハングルになっているなど、管理はおおらかでした。

入口から2時間ほどでエド・ディルに着きました。ナバテア王国最後の国王の治世のために造られ、後にキリスト教の礼拝堂として使われたという場所です。ローマ帝国風の建築ですが岩を削ってできていて、白い大理石のギリシャ・ローマとは違う、世界でここにしかない建築です。

アッシリアの様式からヘレニズムの様式へと変化し、混ざった建築で、装飾はギリシャ建築に比べれば簡素です。ロバで帰る人も多い中、9割以上の人がここまで来ていました。

王家の墓と教会

王家の墓の正面(ペトラ・本人撮影)
王家の墓(Royal Tombs)

戻る道で、5世紀末に建てられ火災と地震で壊れたペトラ教会に寄りました。遺跡を再利用した教会で、モザイクが残っています。中央付近まで戻ると、壁一面に4つの墓が並ぶ王家の墓があって、宮殿の墓、コリント式の墓、シルクの墓、壺の墓と続きます。

壁面を削ってコリント式の柱が浮かび上がるように造られ、内部は暗く砂が舞っていました。土産を売る声かけが多く、中国人と間違えられて声をかけられ続けるので、無視し続けることが必要な場所です。

現地の説明では、ペトラ全体の15%ほどしか発掘されておらず、分からないことが多く残っているそうです。一通り回って戻ると、やはりエル・ハズネの保存状態が一番よく、コリント式の柱と下の彫刻が多く残っていました。岩に挟まれているので、日が真上に来るころが見るのに一番よい時間帯です。

世界遺産データ:隊商都市ペトラ

隊商都市ペトラは1985年に世界遺産に登録されました。紅海と死海の間にあり、ヘレニズム期とローマ期にはアラビアの乳香、中国の絹、インドの香辛料を運ぶ隊商の中心として、アラビア・エジプト・シリアを結ぶ交差点でした[1]。

登録
1985年
登録基準 (i)(iii)(iv)
区分
文化遺産
登録範囲
26,171 ha
文化の基準
  1. i
  2. ii
  3. iii
  4. iv
  5. v
  6. vi
自然の基準
  1. vii
  2. viii
  3. ix
  4. x
  • (i)人類の創造的才能を表す傑作
  • (iii)文化的伝統や文明の、比類のない証拠
  • (iv)人類の歴史の重要な段階を示す建築・技術・景観の見本
登録基準10項目のうち、この遺産が認められた基準(ユネスコの基準の要約)[2]。

半分は建て、半分は岩を削って造られた都市で、水路・トンネル・ダム・貯水槽を組み合わせた水利の仕組みが、乾燥した土地に大規模な定住を可能にしました。

エル・ハズネ、壺の墓、宮殿の墓、コリント式の墓、エド・ディルは、ヘレニズム建築の正面とナバテア伝統の岩窟墓・神殿が融合した紀元前後数世紀の傑作で、東西の出会いを示すものとされています。

岩窟墓にはアッシリアからヘレニズムまでの建築の影響が見られ、紀元前4世紀から紀元1世紀のナバテア文明の証言です。遺跡は風雨による侵食と観光の圧力を受けていて、ベドウィンのブドゥル族は20年以上前に遺跡の外の村へ移住しました。

参考文献

ヨルダンの他の世界遺産

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