アブ・シンベル神殿は、エジプト最南部、スーダン国境に近いナイル上流にラムセス2世が岩山を削って築いた大神殿で、ダム建設による水没からユネスコの国際キャンペーンで救われ、世界遺産条約が生まれるきっかけになった場所です。アスワンからバスで4時間かけて訪れ、大神殿と小神殿を見た記録を、動画・写真・解説付きでまとめています。
湖の向こうに現れる大神殿
湖の周りを歩いて振り返ると、急にアブ・シンベル大神殿が現れます。岩山を削り出して建てられた神殿で、入口にラムセス2世の巨像が4体並びます。3月なのに35度の暑さで、この距離感と雰囲気は実際に来ないと体感できません。エジプトで一番の目的地で、やっと来たという感じでした。
内部は大列柱室の両側にラムセス2世の像が並び、前室を経て一番奥に至聖所があります。両側には壁画の描かれた小部屋がいくつかあります。壁画にはカデシュの戦いの記録や太陽神などの神々が描かれています。年に2回、ラムセス2世の誕生日と即位の日に、太陽光が神殿の最奥まで差し込むように計算して建てられたそうで、その日は祭りがあります。
世界遺産条約が生まれた場所
高さ20メートルの大神殿は、よく見ると所々に切断の線が入っています。1960年代のダム建設で水位が上がり神殿が沈むとされたとき、ユネスコが国際的に呼びかけ、多くの国を巻き込んだキャンペーンの末に、部分ごとに切り分けて元の場所から西へ210メートル、64メートル高い場所に移されました。
入口の4体のうち左から2番目の像は地震で頭部が崩れていて、それもそのまま運ばれています。この呼びかけが、世界遺産というものを作ろうという動きにつながりました。
隣には王妃ネフェルタリのために建てられたアブ・シンベル小神殿があります。この場所はナイル上流の水が取りやすい地で、エジプトが南のヌビアへ進出する拠点でもありました。土産をほとんど買わないのですが、ここのマグネットだけはエジプト考古学博物館で買いました。
世界遺産データ:ヌビアの遺跡群
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまでは1979年に世界遺産に登録されました。アスワン県にある10の構成資産からなります[1]。
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- (i)人類の創造的才能を表す傑作
- (iii)文化的伝統や文明の、比類のない証拠
- (vi)普遍的な意義をもつ出来事・伝統・思想・信仰・芸術との関連
アブ・シンベル、アマダ、ワディ・エス・セブア、カラブシャ、フィラエ(アギルキア島)の5件は、1960年から1980年のユネスコ国際キャンペーンでナイルとナセル湖の水没から救うために移築された神殿で、残る5件はアスワン周辺の古代遺跡です。
アスワンから南のスーダン国境までのこの区間は考古学の宝庫で、新王国からプトレマイオス朝・ローマ時代の神殿に加え、初期コプト教の遺跡や村が残り、ヌビア文化の広がりを示しています。第1急湍の北にあるアスワンは古代エジプトの国境の町で、南への交易や軍事遠征の拠点でした。